ロビーニョやネイマールを発掘し、育てたベッチーニョが12月7日に亡くなった。まだ67歳だった。彼の死は家族から発表されたが、突然のことで、死因も特に明かされていない。
ベッチーニョと初めて会ったのは2006年、映画「ジンガ」の書籍本の取材でブラジルを訪れた時だった。映画では、当時レアル・マドリードで活躍するロビーニョを育てた人と紹介されていた。ベッチーニョに会うために彼の家を訪ねると、インタビューよりもこれを見ろと言わんばかりにたくさんのビデオを見せられた。それはロビーニョの幼少の頃のプレーだった。ジンガとは何かというのが、その時の取材で探求していたものだったが、彼は私にそれに対するヒントとなることを話してくれた。
「サッカーにはリズムがあるんだ。スタジアムには太鼓の音、ブーイング、拍手、音が存在する。そこで選手は喜びを伝えるアーティストにならなければいけない。それがスタジアム中を揺さぶることになるのだ。さっき私がロビーニョのプレーを見せた時、君は微笑んで見ていただろう。彼にジンガがあるから、喜びが君に伝わったのだ。ジンガは見ているものに喜びを与えるからだ」
インタビューが終わり、トレーニングに同行させてもらったが、「もう一人、将来が楽しみな選手がいる」と言って、紹介してくれたのが、当時14歳のネイマールだった。ブラジルではすでにネイマールの存在は徐々に知られつつあったが、ちょうどレアル・マドリードの練習に参加しにスペインへ行き帰国したところで、ベッチーニョにその報告をしにきたのだった。ネイマールはマドリード行きを断り、サントスに留まることになった。近年、ヨーロッパへ若い時に移籍してしまって、ブラジルで育てられ熟成されるはずだった「ジンガ」を持たない選手が多くなってきているが、ネイマールがそうならないで済んだのは、スペインへ若年で渡らず、サントスに留まったからかもしれない。
ネイマールはサントスでプレーを続け、2013年21歳の時にバルセロナへ移籍し、世界的なスターとなるわけだが、そのネイマールがビッグになっていく中、ロビーニョとネイマールを発掘したベッチーニョの生活も変わっていく。その後もブラジルに行き、ベッチーニョを何度か訪ねたが、息子が代理人のようなことをやるようになり、また日本にも招かれたり、会うのは次第に難しくなっていった。
近年はfacebookで彼の日常を知ることができるようになった。投稿される写真からは、彼の服装も垢抜けてきていることが分かったし、裕福になり、また幸せそうに暮らしていることが伝わってきた。
彼の死は奥さんが書いたfacebookで知った。すぐにネットで検索をかけるとブラジルの新聞の記事も見つかった。
サントスが彼の死に対して送った言葉を最後に載せておきたい。
“Obrigado por toda dedicação e amor ao futebol.Nosso sentimentos aos familiars e amigos.”